2013/05/11

伊勢田先生と津田先生②


 なんか津田先生が伊勢田先生のつっこみを3項にまとめてるけど、多分あのまとめ方はそれほど正確じゃない。
 というわけで、伊勢田先生のつっこみを一つずつ見ていってみる。番号は単純に上からつけてます。

つっこみその5
①津田の引用元である市井訳が訳しすぎであり、そのため意味が通らなくなっている。

②ここでのつっこみは次のとおり
1.話の対象が自然科学全般か病気の原因という個別の話題なのか判別できない。
2.通俗的な用語として「原因」、「結果」を使う場合、両者が必要十分条件だと捉えるのは相当に過激な考え方ではないか?
3.論理学における根拠と帰結の関係は必要十分条件ではない。
4.ラッセルの指摘と津田の指摘はそれぞれの別の問題である。
5.引用元である市井訳でもそのようなことは書いていない。

③ヒュームが因果関係について何を論じているかはいくつか解釈がある。しかし津田の言う「合意に達し得ない」という解釈は誰の解釈を用いているのか、それとも独自の解釈なのか?

④「論じられない」と「無い」は違うし、因果関係がないことと世の中が成り立たないことの関係も不明。

⑤ヒュームの問題を踏まえていなければならないという主張はかなり厳しい主張である。

⑥何を言っているのかそもそもわからない。

⑦ここでのつっこみは次のとおり
1.ヒュームの引用に際して「similar to the first」という部分が抜け落ちている。ここでの「似た」という言葉はヒュームの懐疑論において一定の重要性をもっているが、津田のイメージする理解と矛盾するので訳から落としたのではないか?
2.ヒュームが原因を定義した箇所としては引用部分が不適切である。
3.ヒュームが原因を定義した箇所として津田が引用している部分はヒューム研究者にとっても理解が難しく、またヒューム自身他の場所では使っていない定義である。わざわざ難しい箇所から引用しているという自覚が全くない。
4.ヒュームの問題の問題設定とも解決とも関係ないような定義を提示したのは話の流れとしておかしい。

⑧用語の使い方がやや不適切。

⑨自然科学の一般論と医学特有の話をしている箇所の切り替えがわかりにくい。

⑩ヒュームの因果関係についての懐疑論は繰り返し同じタイプの観察を行うという状況も考慮に入れ、そこから必然的連関が導けるかという議論である。しかし津田の設定はある特定の出来事連鎖であり、ヒュームの議論につながらない。

⑪ここでのつっこみは次のとおり
1.ヒュームがこのような疑問を持ったとは考えにくい。
2.ヒュームが疑問に思ったのは「必然的連関」という考えである。ヒュームと津田ではそもそも疑問点が違うのにヒュームの「慣習に過ぎない」という結論だけ持ってきている。
3.「誰もが納得する証拠はない」というのは津田の分析についてもヒュームが分析したことについても問題の本質をそれた整理である。

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