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2013/06/29
『入門医療倫理Ⅱ』メモ(2)
2013/06/27
『入門医療倫理Ⅱ』メモ(1)
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2013/05/11
E.H.カー
歴史とは歴史家と事実とのあいだの相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。
事実に立脚しない歴史研究はありえず、また歴史家による解釈なしでは歴史的事実は存在し得ない。
伊勢田先生と津田先生⑧
久しぶりに覗きに行ったが進展はない模様。
↓引用開始
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皆さま、
ネットで調べると、エラーバーというのは、95%信頼区間よりもっといろんな誤差を含んでいるようですね。むしろ外れ値検出帯みたいな感じでしょうか。
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↑引用終了
津田先生は統計学の玄人ではなかったのか?学者としてやり取りしている状況で安易に「ネットで調べると」なんて言葉を使うのが信じられない。
私は統計学のいろはも知らない人間だが、エラーバー云々は初歩的な話ではないのだろうか?「ようだ」、「でしょうか」という曖昧な表現が必要になるほど難解な内容とは思えないのだが。。。
↓引用開始
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伊勢田先生、
ところで、最後のところに私のtetsuさんへのコメントを引用しておられるようです。しかし、これがなぜ唐突に出てくるのか私には理解できません。誰もが分かるように、このコメントは、私が「伊勢田先生からのリアクションは必要ない」 と言っているわけではありません。よく読んでください。「私が投稿しても良いはずですよね?」と主張している内容が、なぜこんな解釈になるのでしょうか?
私のコメントはtetsuさんがかみ合っていないからもうやめろと言われるのに対して言った言葉です。伊勢田先生がリアクションをしてくだされば、それをまた参考にしたコメントができるわけです。それはtetsuさんが求めておられる「かみ合った」状態になり、tetsuさんからやめろとは言われなくなる状態に近付くのではないかと思っています。
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↑引用終了
コメントを読み返したけれど、なぜ津田先生はこんな解釈をしているのかわからない。
以下時系列に沿って抜粋
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2/16(tetsuさん)
さらにもう一点、これはやり取りの流れに関してですが、伊勢田先生がなされた最後のコメントの冒頭で、津田先生に釈明を求めています。そしてその回答如何によってここでの会話を打ち切ると宣告しています。
伊勢田先生が問題としていらっしゃる津田先生のコメントが、実際に釈明を必要とするものかについてはともかく、次の津田先生のコメントは最低限この伊勢田先生の発言になんらかの反応を返さなければいけないはずです。しかしながらその後の津田先生のコメントは統計学の話に終始しています。これはおそらく伊勢田先生側から見れば噛み合っていないと感じるのではないかと思います。打ち切りの宣告があった以上、ここでのやり取りを続ける意思が津田先生の方にあるなら、まずこの伊勢田先生の要望に回答するのが必要かと思いますがいかがでしょうか(というよりそうしなければ伊勢田先生はもうここでのやり取りを続けるつもりはないとのことですし)。
2/21(津田先生)
また、伊勢田先生が一方的に打ち切ると宣言されたことに関して、なぜ私が回答をする必要があるのでしょうか?私が、このブログの表題のこのテーマに沿って気が向いた時にコメントを投稿し、それを川端さんが承認することに関して、なぜ回答する必要があるのでしょうか?単に私のコメントの投稿になるだけだと思いますが。
4/11(伊勢田先生)
津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので、それでしたらご自由に、ということになります
5/16(津田先生)
「津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので」というのは伊勢田先生の勝手な憶測で誤りです。長々と続いた伊勢田先生の「つっこみ」に対して私が暇を見つけてリアクションをしているだけです。伊勢田先生がそれに対してリアクションされていないだけです。
8/26(伊勢田先生)
あと、津田さんが「わたしからのリアクションは必要ない」と思っておられる、というのは、この箇所へのお答えです。わかりにくかったでしょうか?
>また、伊勢田先生が一方的に打ち切ると宣言されたことに関して、なぜ私が回答をする必要があるのでしょうか?私が、このブログの表題のこのテーマに沿って気が向いた時にコメントを投稿し、それを川端さんが承認することに関して、なぜ回答する必要があるのでしょうか?単に私のコメントの投稿になるだけだと思いますが。
9/15(津田先生)
伊勢田先生、
ところで、最後のところに私のtetsuさんへのコメントを引用しておられるようです。しかし、これがなぜ唐突に出てくるのか私には理解できません。誰もが分かるように、このコメントは、私が「伊勢田先生からのリアクションは必要ない」 と言っているわけではありません。よく読んでください。「私が投稿しても良いはずですよね?」と主張している内容が、なぜこんな解釈になるのでしょうか?
私のコメントはtetsuさんがかみ合っていないからもうやめろと言われるのに対して言った言葉です。伊勢田先生がリアクションをしてくだされば、それをまた参考にしたコメントができるわけです。それはtetsuさんが求めておられる「かみ合った」状態になり、tetsuさんからやめろとは言われなくなる状態に近付くのではないかと思っています。
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この「やり取り」をどう評価するかはそれこそ十人十色だろうが、少なくともこれをまともな議論だと評する人はいないだろう。双方感情的になっているし、特に津田先生はおそらく意図的にずらした回答をしている。2/21のコメントは津田先生が「伊勢田先生からのリアクションは必要ない」と言っていると解釈するのが普通だろう。またこのコメントは「tetsuさんがかみ合っていないからもうやめろと言われるのに対して言った言葉」ではなく、2/16のtetsuさんのコメントに対する返答であり、事実に反する。
私は統計学が科学の文法なのかとか、伊勢田と津田どちらが言い争いに勝つかなんてことには当然ながら全く関心はない。川端さんのところでのやり取りで一番期待していたのはヒュームの問題に関しての「議論」である。『医学と仮説』に書いてある説明は伊勢田先生の指摘の通り確かにおかしいと感じるので(というかそもそもなぜヒュームを出したのかよくわからないのだが)、その点について深い議論がなされるならば興味深いと思っていた。自分の理解が間違っていたのか、それとも津田先生の説明を読み違えていたのか確認できるだけでも意味があると考えていたがどうやら期待した自分が甘かったらしい。
ところで津田先生はしばしば大学受験向けの参考書や一般向けの本を出典として出しているが、最近の研究者は学術書ではなくそういった類の本をもとにして本を書くのだろうか?
某漫画からの引用
「地獄だ・・・・ ここは・・・・
人間が作りだした地獄だ! 悪魔からの恐怖から逃げるため・・・・
人間みんなが恐怖をあたえる側にまわろうとあがいている
被害者から加害者に・・・・
ここだけのことではない 人間ぜんぶが自分より弱いものをたたこうとしている・・・・
この地獄は・・・・
つづく!
人間のいるすべての世界で すべての人間の命が果てるまで・・・・」
「外道! きさまらこそ悪魔だ!
おれはからだは悪魔になった・・・・
だが 人間の心をうしなわなかった!
きさまらは人間のからだをもちながら悪魔に!
悪魔になったんだぞ!
これが! これが!
おれが身をすててまもろうとした人間の正体か!
地獄へおちろ人間ども!」
ヒロインがあんな風になる少年マンガがあるとはねぇ...
伊勢田先生と津田先生⑦
↓引用開始
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伊勢田先生、
ところで、最後のところに私のtetsuさんへのコメントを引用しておられるようです。しかし、これがなぜ唐突に出てくるのか私には理解できません。誰もが分かるように、このコメントは、私が「伊勢田先生からのリアクションは必要ない」 と言っているわけではありません。よく読んでください。「私が投稿しても良いはずですよね?」と主張している内容が、なぜこんな解釈になるのでしょうか?
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↑引用終了
津田先生の国語力はかなり貧困である。普通に読めば津田先生が「伊勢田先生からのリアクションは必要ない」と主張しているようにみえる(というかそうとしか読めない)。
リアクションがいるいらないの経緯は<a href="http://ameblo.jp/hagakure-kazehikaru/entry-11252470490.html" target="_blank">過去記事</a>でもまとめたのでそちらで。
いずれにせよ相変わらず本の内容そっちのけでの罵詈雑言である。
実名を公開した上でなぜこんな恥さらしな真似ができるのかまったくもって理解できない。
反証主義
反証主義
カール・ポパーが展開した科学観。
特徴・ヒュームの懐疑論を受け止め、予測と仮説が一致しても仮説は検証されない。
・予測と仮説が一致しないことに価値がある。
何をわけのわからないこと言ってるんだって感じですが、ヒュームの懐疑論を受け入れると
予測と仮説が一致しても何も意味はないんです。
だってさっきやった試行と次にやる試行に因果関係あるとは限らないんですから。
で、ポパーは「まて、逆に考えるんだ。予測と実験結果が一致しても意味がないなら、一致しなかった時には意味あるんじゃないのか?」って考えちゃったわけ。
なのでポパーの科学観では「科学の前進は仮説が反証された時に起こる」ということに。失敗は成功の母とかなんとか。
反証主義的方法論
・仮説(1)が反証→それを踏まえてよりよい仮説(2)をつくる→仮説(2)が反証→よりよい仮説(3)をつくる→…
・仮説(1)が反証されない→さらに別の角度から反証を試みる→仮説(1)が反証→それを踏まえてよりよい仮説(2)をつくる→仮説(2)が反証→よりよい仮説(3)をつくる→…
↑これがポパーのイメージする科学の発展過程。
だからポパーにとっての科学とは「原理的に反証可能であるもの」に限定される。
要するに神がどうのうこうのっていうのは往々にして原理的に反証不可能だったりするので宗教は科学じゃないってこと。
神は我々の心の中にいらっしゃるのですとか言われても反証しようがないですからね。
ちなみにポパー流の考え方では科学理論の善し悪しは「反証可能性の高さ」で決まる。
「地球は自転している」という仮説と「地球は24時間で一周自転している」という仮説なら後者のほうがよい科学理論というわけ。反証の範囲が広いから。
反証主義への批判
・ヒュームの懐疑論を受け止める=科学的仮説は未観察のものについては白紙
→そういった事象について既知の科学理論は何の関係もない?
また反証されていない仮説は役に立たないということにも。
・反証可能性があるかという基準で科学か非科学かを分けるのはある面では強すぎるしある面では弱すぎる。
ヒュームによる帰納的推論への懐疑
ヒュームによる帰納的推論への懐疑
帰納的推論の諸形態
①枚挙的帰納法・・・事実を無数に観察し、パターンを見つけ出す。
②仮説演繹法・・・ある仮説について、任意の初期条件のもとでの観測予測をたて、結果を検証する。
どちらの帰納法も結論が間違っている可能性を考慮したうえで、おそらくこの法則は一般に成り立つだろうという検証を行っている。
しかし有限回の観察で無限集合についての法則を確からしくできるのか?(ヒュームが疑問に思ったところ)
ex.「有史以来太陽は常に東から昇ってきた」(有限回の観察)
↓
「明日以降も太陽は東から昇る」(無限集合についての法則)
この推論はおかしいというのがヒュームの懐疑論。
今までそうだったからといって明日もそうだとは限らない。結論が間違っている可能性があるというレベルの問題ではなく、そもそも推論として成立していない。
昨日までそうだったからといって明日もそうだと考えることになんら根拠はない。昨日と明日になんら関係はないのだから。
この推論を妥当なものにするには「明日以降も天体はこれまでと同様の振る舞いをする」というような前提を加える必要がある。
しかしその新しい前提が正しいことを示すには結局、「今まで天体の動きは一定の法則に従っていたから明日以降もそうだろう」というような帰納的推論が必要。つまりヒュームの疑問に回答したことにはならない。
伊勢田先生と津田先生⑥
醜悪醜悪&醜悪。
伊勢田先生の言ってることがわからないからといって延々悪口を書き続けるってのは意味がわからない。
わからない振りをしてるのか本当にわからないのか知らないけど、ピントがずれすぎている。もう少し冷静に考えればわかるだろうに。
まあこれで津田がどんな人間かわかったから、こいつの本は二度と買わない。
伊勢田先生と津田先生⑤
前回にも書いたような気がするが津田先生は一体なにをしたいのだろう?
↓引用開始
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今気づいたのですが、まだリアクションを完了した「つっこみ」は一つもありません。まだまだ先は長そうで、へこたれそうです。
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↑引用終了
これなどもはや皮肉を言いたいだけとして思えないのだが。
↓引用開始
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原因があり、結果があるのを見て、因果関係があると思うことは多いです。刑事事件なんて、その典型例でしょう。それで犯人を挙げています。
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↑引用終了
これは伊勢田先生が個別出来事連鎖に関して因果関係があると日常的に判断するとは考えにくい、と指摘したことへの反論である。
私も原因(とされる事象)と結果(とされる事象)を見ただけでは、普通そこに因果関係があるとは考えないと思う。
津田先生の著書の中で森永ヒ素ミルク中毒事件の例が採り上げられているが、ここで医師たちは個別の出来事連鎖を見て「既に森永粉乳に原因のある事を相当深く信ずるに至っ」たと言うのだろうか?
常識的に考えれば、患者に「森永粉乳」という共通項が高い程度に存在していたから「信ずるに至っ」たと考えられし、それが疫学的な考え方というものではないか?個別の出来事連鎖から因果関係があると推定することが多いというのなら具体的な例をあげるべきだろう。
また刑事事件からの一文はよく意味がわからない。一体どのような意味なのか。
↓引用開始
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「科学的な議論の場でそれを否定することに問題があるとは思えない」なんて、原因が起こって結果が起こった際に、それを「科学的な議論」でどうやって否定できる具体的方法はなんでしょうか。
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↑引用終了
日常的に行なっている(と仮定する)思考方法の慣習を、科学的な議論において否定することにはどこにも問題ない。
引用文の後半は津田先生自身混乱しているようだが、ここでの論点は「どうやって」否定するかではなく、日常的な思考方法と相反する思考方法を科学的議論においてしてもよいかという点である。
その次の津田先生の指摘だが、これは伊勢田先生の指摘の末節にしか答えていない。伊勢田先生が言っているのは、教科書的な意味での「ヒュームの問題」を津田先生が言及しているようにしか読めないが、実際に津田先生が解説しているのは全く違う「ヒュームの問題」になってしまっているというこである。
「ヒュームの問題」が「帰納の問題」のことを指すか「因果の問題」のことを指すかということ以前の論点である。
伊勢田先生と津田先生④
最新の津田先生の書き込み
↓引用開始
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うがちすぎかも知れませんね。しかし、それでは、緊急である理由が見つからないのです。緊急ということ自体がとりあえずの理由付けならまた別なんですが、それにしても不思議な出来事だと考えております。とりあえずうがちすぎでも提示しないと答えが出そうにありませんので。
この点だけ見ても「津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように…」というのは誤解ですね。
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↑引用終了
前回まとめた通り伊勢田先生の誤解ではなく、ありえるとすれば津田先生の表現の問題だろう。
さて、津田先生は本当に伊勢田先生からの反応を求めているのか、というのが私の疑問なのだが実際のところどうなんだろうか。
いずれにせよ、あまり意味のある議論をするつもりはないようだが。。。
伊勢田先生と津田先生③
某所での津田先生と伊勢田先生のやり取りについて
直近の津田先生の書き込みはさすがにおかしい。
↓引用開始
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「津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので」というのは伊勢田先生の勝手な憶測で誤りです。長々と続いた伊勢田先生の「つっこみ」に対して私が暇を見つけてリアクションをしているだけです。伊勢田先生がそれに対してリアクションされていないだけです。
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↑引用終了
そもそも伊勢田先生がやり取りを「打ち切る」と宣告した書き込みは
↓引用開始
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特に悪口を書くとか侮辱するとかいうつもりはなかったのですね。それでは、「データ(現象・観察)がばらつくこと(義務教育で学んでいるはず)をきちんとと理解しておられない人がまさかいらっしゃるとは」というのは誰のことですか?わたしは「もちろんどの分野でも測定誤差もあれば誤差からの推定も存在し、その意味での統計学にはかならずお世話になります。だから、「限定が必要」という言い方になっていて、使わない、とは言っていません」と11月23日の投稿ではっきり書いています。
そういえばその前の「相矛盾することが平気で書かれている」というのにもお答えしたのに何も釈明をいただいていませんね。
お答え次第では本当にこの会話は打ち切らせていただこうとは思いますが、それまでの間、ご質問にはお答えします。
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↑引用終了
というもの。
ここで伊勢田先生は津田先生の回答に満足できなければもうやり取りはしませんと宣言しているわけである。
しかしこの直後の津田先生の書き込みはtetsuさんが指摘通り「統計学の話に終始して」いる。
これが伊勢田先生を満足させる回答でないことは明らかである。
さらにその後津田先生は2月21日の書き込みで
↓引用開始
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また、伊勢田先生が一方的に打ち切ると宣言されたことに関して、なぜ私が回答をする必要があるのでしょうか?私が、このブログの表題のこのテーマに沿って気が向いた時にコメントを投稿し、それを川端さんが承認することに関して、なぜ回答する必要があるのでしょうか?単に私のコメントの投稿になるだけだと思いますが。
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↑引用終了
と言っている。このことから津田先生自身、伊勢田先生からの反応を求めていないことが窺える。
これを受けて伊勢田先生は
↓引用開始
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津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので、それでしたらご自由に、ということになります。
______________________________________________________________________________________
↑引用終了
とコメントしてる。
言い方はともかく、津田先生が伊勢田先生の反応を必要としているとは私にも思えず、
それならどこで何を書こうがまさしく自由である。
ところが5月16日になると一転して冒頭の書き込みがなされたのである。
tetsuさんが二人のやり取りを「幻滅した」と評しているが私も同じ感想である。
尊敬されてしかるべき2人の学者が、見苦しい口喧嘩をしているのはどうにも醜悪であるし、
せめて本の内容で口喧嘩をすればいいのに、と思う。
サンデルによるロールズ批判について
ロールズの無知のヴェールという思考実験に対してサンデルが「負荷なき自我」だと批判したのは有名である。現実世界の人間は生まれた瞬間から何らかの共同体に属しており、その意味でロールズが想定する人間観は間違っている、という批判である。サンデルに言わせれば人間は「状況の中の自己」として理解されるべきであり、それを前提のひとつとして政策を決定するべきなのである。
しかし正直言ってこのサンデルの批判はあまり納得がいかない。ロールズの関心は黒人差別の問題や女性の地位向上など、主として社会的弱者救済にあったようである(伊勢田哲治『動物からの倫理学入門』)。市民革命以降の政治の大きな流れとして、社会的、文化的背景に関係なく人間は最低限認められるべき権利を有する、というのがある。要するに家父長制の色濃い東アジアの社会であろうが、白人を特別視する社会であろうが、それとは関係なく女性や黒人にも参政権などの最低限の権利は認められるべきだろうということである。
このような関心からロールズは、社会あるいは文化の価値観に引きずられることなしに、フェア、公平な政策を採用するにはどうすればいいか、ということで無知のヴェールを持ち出したはずである(少なくとも私はそう理解してる)。
それに対してサンデルの「ロールズの人間理解は間違っている」という批判はやや的外れではないだろうか。確かにサンデルの言うとおり現実の人間は「状況の中の自己」として存在している。しかしロールズもおそらくそれはわかっていたはずで、その上で公平な社会を構築するには一旦そのことを忘れて考えればいい、というのがロールズの主張だろう。
伊勢田先生と津田先生②
なんか津田先生が伊勢田先生のつっこみを3項にまとめてるけど、多分あのまとめ方はそれほど正確じゃない。
というわけで、伊勢田先生のつっこみを一つずつ見ていってみる。番号は単純に上からつけてます。
つっこみその5
①津田の引用元である市井訳が訳しすぎであり、そのため意味が通らなくなっている。
②ここでのつっこみは次のとおり
1.話の対象が自然科学全般か病気の原因という個別の話題なのか判別できない。
2.通俗的な用語として「原因」、「結果」を使う場合、両者が必要十分条件だと捉えるのは相当に過激な考え方ではないか?
3.論理学における根拠と帰結の関係は必要十分条件ではない。
4.ラッセルの指摘と津田の指摘はそれぞれの別の問題である。
5.引用元である市井訳でもそのようなことは書いていない。
③ヒュームが因果関係について何を論じているかはいくつか解釈がある。しかし津田の言う「合意に達し得ない」という解釈は誰の解釈を用いているのか、それとも独自の解釈なのか?
④「論じられない」と「無い」は違うし、因果関係がないことと世の中が成り立たないことの関係も不明。
⑤ヒュームの問題を踏まえていなければならないという主張はかなり厳しい主張である。
⑥何を言っているのかそもそもわからない。
⑦ここでのつっこみは次のとおり
1.ヒュームの引用に際して「similar to the first」という部分が抜け落ちている。ここでの「似た」という言葉はヒュームの懐疑論において一定の重要性をもっているが、津田のイメージする理解と矛盾するので訳から落としたのではないか?
2.ヒュームが原因を定義した箇所としては引用部分が不適切である。
3.ヒュームが原因を定義した箇所として津田が引用している部分はヒューム研究者にとっても理解が難しく、またヒューム自身他の場所では使っていない定義である。わざわざ難しい箇所から引用しているという自覚が全くない。
4.ヒュームの問題の問題設定とも解決とも関係ないような定義を提示したのは話の流れとしておかしい。
⑧用語の使い方がやや不適切。
⑨自然科学の一般論と医学特有の話をしている箇所の切り替えがわかりにくい。
⑩ヒュームの因果関係についての懐疑論は繰り返し同じタイプの観察を行うという状況も考慮に入れ、そこから必然的連関が導けるかという議論である。しかし津田の設定はある特定の出来事連鎖であり、ヒュームの議論につながらない。
⑪ここでのつっこみは次のとおり
1.ヒュームがこのような疑問を持ったとは考えにくい。
2.ヒュームが疑問に思ったのは「必然的連関」という考えである。ヒュームと津田ではそもそも疑問点が違うのにヒュームの「慣習に過ぎない」という結論だけ持ってきている。
3.「誰もが納得する証拠はない」というのは津田の分析についてもヒュームが分析したことについても問題の本質をそれた整理である。
伊勢田先生と津田先生
某所で『医学と仮説』について何やら「やり取り」をしている模様。が、あまりに幼稚すぎないかと思う。仮にも研究者なんだからもう少し冷静に話せないのかな、と。
特に津田先生の皮肉はちょっと醜悪だと思う。おまけに伊勢田先生の回答は必要ないみたいなことを言い出してるのは一体なんなんだろう…。いや、伊勢田先生の細かいツッコミもどうかと思うけどね。
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