2013/05/11

伊勢田先生と津田先生⑧


久しぶりに覗きに行ったが進展はない模様。

↓引用開始
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皆さま、
 ネットで調べると、エラーバーというのは、95%信頼区間よりもっといろんな誤差を含んでいるようですね。むしろ外れ値検出帯みたいな感じでしょうか。
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↑引用終了

津田先生は統計学の玄人ではなかったのか?学者としてやり取りしている状況で安易に「ネットで調べると」なんて言葉を使うのが信じられない。
私は統計学のいろはも知らない人間だが、エラーバー云々は初歩的な話ではないのだろうか?「ようだ」、「でしょうか」という曖昧な表現が必要になるほど難解な内容とは思えないのだが。。。


↓引用開始
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伊勢田先生、
 ところで、最後のところに私のtetsuさんへのコメントを引用しておられるようです。しかし、これがなぜ唐突に出てくるのか私には理解できません。誰もが分かるように、このコメントは、私が「伊勢田先生からのリアクションは必要ない」 と言っているわけではありません。よく読んでください。「私が投稿しても良いはずですよね?」と主張している内容が、なぜこんな解釈になるのでしょうか?

 私のコメントはtetsuさんがかみ合っていないからもうやめろと言われるのに対して言った言葉です。伊勢田先生がリアクションをしてくだされば、それをまた参考にしたコメントができるわけです。それはtetsuさんが求めておられる「かみ合った」状態になり、tetsuさんからやめろとは言われなくなる状態に近付くのではないかと思っています。
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↑引用終了

コメントを読み返したけれど、なぜ津田先生はこんな解釈をしているのかわからない。
以下時系列に沿って抜粋
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2/16(tetsuさん)
 さらにもう一点、これはやり取りの流れに関してですが、伊勢田先生がなされた最後のコメントの冒頭で、津田先生に釈明を求めています。そしてその回答如何によってここでの会話を打ち切ると宣告しています。
 伊勢田先生が問題としていらっしゃる津田先生のコメントが、実際に釈明を必要とするものかについてはともかく、次の津田先生のコメントは最低限この伊勢田先生の発言になんらかの反応を返さなければいけないはずです。しかしながらその後の津田先生のコメントは統計学の話に終始しています。これはおそらく伊勢田先生側から見れば噛み合っていないと感じるのではないかと思います。打ち切りの宣告があった以上、ここでのやり取りを続ける意思が津田先生の方にあるなら、まずこの伊勢田先生の要望に回答するのが必要かと思いますがいかがでしょうか(というよりそうしなければ伊勢田先生はもうここでのやり取りを続けるつもりはないとのことですし)。

2/21(津田先生)
また、伊勢田先生が一方的に打ち切ると宣言されたことに関して、なぜ私が回答をする必要があるのでしょうか?私が、このブログの表題のこのテーマに沿って気が向いた時にコメントを投稿し、それを川端さんが承認することに関して、なぜ回答する必要があるのでしょうか?単に私のコメントの投稿になるだけだと思いますが。

4/11(伊勢田先生)
津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので、それでしたらご自由に、ということになります

5/16(津田先生)
「津田さんはわたしからのリアクションは必要ないという認識でひとりごとのように投稿を続けるというスタンスのようですので」というのは伊勢田先生の勝手な憶測で誤りです。長々と続いた伊勢田先生の「つっこみ」に対して私が暇を見つけてリアクションをしているだけです。伊勢田先生がそれに対してリアクションされていないだけです。

8/26(伊勢田先生)
あと、津田さんが「わたしからのリアクションは必要ない」と思っておられる、というのは、この箇所へのお答えです。わかりにくかったでしょうか?
>また、伊勢田先生が一方的に打ち切ると宣言されたことに関して、なぜ私が回答をする必要があるのでしょうか?私が、このブログの表題のこのテーマに沿って気が向いた時にコメントを投稿し、それを川端さんが承認することに関して、なぜ回答する必要があるのでしょうか?単に私のコメントの投稿になるだけだと思いますが。

9/15(津田先生)
伊勢田先生、
 ところで、最後のところに私のtetsuさんへのコメントを引用しておられるようです。しかし、これがなぜ唐突に出てくるのか私には理解できません。誰もが分かるように、このコメントは、私が「伊勢田先生からのリアクションは必要ない」 と言っているわけではありません。よく読んでください。「私が投稿しても良いはずですよね?」と主張している内容が、なぜこんな解釈になるのでしょうか?

 私のコメントはtetsuさんがかみ合っていないからもうやめろと言われるのに対して言った言葉です。伊勢田先生がリアクションをしてくだされば、それをまた参考にしたコメントができるわけです。それはtetsuさんが求めておられる「かみ合った」状態になり、tetsuさんからやめろとは言われなくなる状態に近付くのではないかと思っています。
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この「やり取り」をどう評価するかはそれこそ十人十色だろうが、少なくともこれをまともな議論だと評する人はいないだろう。双方感情的になっているし、特に津田先生はおそらく意図的にずらした回答をしている。2/21のコメントは津田先生が「伊勢田先生からのリアクションは必要ない」と言っていると解釈するのが普通だろう。またこのコメントは「tetsuさんがかみ合っていないからもうやめろと言われるのに対して言った言葉」ではなく、2/16のtetsuさんのコメントに対する返答であり、事実に反する。

私は統計学が科学の文法なのかとか、伊勢田と津田どちらが言い争いに勝つかなんてことには当然ながら全く関心はない。川端さんのところでのやり取りで一番期待していたのはヒュームの問題に関しての「議論」である。『医学と仮説』に書いてある説明は伊勢田先生の指摘の通り確かにおかしいと感じるので(というかそもそもなぜヒュームを出したのかよくわからないのだが)、その点について深い議論がなされるならば興味深いと思っていた。自分の理解が間違っていたのか、それとも津田先生の説明を読み違えていたのか確認できるだけでも意味があると考えていたがどうやら期待した自分が甘かったらしい。

ところで津田先生はしばしば大学受験向けの参考書や一般向けの本を出典として出しているが、最近の研究者は学術書ではなくそういった類の本をもとにして本を書くのだろうか?

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